ペンテコステとルツ記

5月19日は聖霊降臨日(ペンテコステ)でした。主イエスの復活の主日から50日間は「復活節」と呼ばれ、この聖霊降臨日はその最後の日となります。この期間は「五旬節」とも呼ばれ、当時はユダヤ教の三大例祭の一つ、「七週の祭り」を指していました。これについて、旧約聖書のレビ記23章に次のように書かれています。
 15あなたたちはこの(過越の祭りの)安息日の翌日、すなわち、初穂を携え奉納物とする日から数え始め、満七週間を経る。 16七週間を経た翌日まで、五十日を数えたならば、主に新穀の献げ物をささげる。17各自の家から、十分の二エファの上等の小麦粉に酵母を入れて焼いたパン二個を携えて、奉納物とする。これは主にささげる初物である。
  ここにある「過越の祭り」は、、旧約聖書の出エジプト記に書かれている出来事に由来します。ユダヤ人の祖先であるヘブライ人は当時エジプトの奴隷だったのですが、モーセに率いられて脱出する時、神は国中の初子を殺しました。でも小羊の血を入口に塗ったヘブライ人の家だけは過ぎ越したと記されており、その故事を記念して毎年行われるようになりました。
  ここで興味深いのは、7日間続く過ぎ越しの祭りの間は、大麦を初穂として神に捧げ、種なしパンを食べなけれぱならなかったのに対し、「七週の祭り」では、上等の小麦粉にパン種である酵母を入れて焼いたパンを二 個捧げよ、とされていることです。何故、当時は罪の象徴でもあった酵母を使い、しかもわざわざ二個なのか、不思議に思って少し調べてみました。
  この七週の祭り(五旬節)の間、ユダヤの人たちは「ルツ記」を読むそうです。このルツは異国だったモアブの出身でしたが、夫を失って姑のナオミと共にベツレヘムに移ります。そしてその地で落穂を拾って暮らしを支えていたルツは裕福なボアズと再婚し、やがてはダビデ王の祖父となるオベデを出産します。つまり選民思想を支えとしていたユダヤの人々ですが、その王であったダビデは、実は異国の血を引いていたという事にもなります。
 ここからは諸説の一つに過ぎないのですが、この酵母と二つのパンが、実はユダヤ人と異邦人との共生を示していた、という推論に繋がっていきました。そしてそれは取りも直さず、この記事の出発点である五旬節(七週の祭り)のペンテコステ、つまりキリスト教の聖霊降臨日の意義でもあるのです。
  5月19日の礼拝の中でも言われた事ですが、私たちの信仰では、ペンテコステは教会の始まりの日です。教会とは、主イエスの名によって人が集まる場所、そしてその日から主イエスの弟子や使徒たちは、ユダヤの国のみならず小アジアやギリシャ、そしてローマにまで福音を伝えていきます。その中でも最も大きな働きをしたのがペトロとパウロでしたが、ことにパウロは異国への伝道に生涯を捧げました。
  土曜日のレターでも、4月から新約聖書の使徒言行録と二人の伝道旅行について書いてきましたが、ペンテコステを契機として、それまで民族宗教であったユダヤ教から、主イエスの教えは普遍的な世界宗教であるキリスト教としての道を辿り始めます。聖霊降臨日は教会の始まりの日ですが、その背景となる五旬節、つまり七週の祭りの献げものと、そこで読まれるルツ記にも、この全ての人々ための福音、という事は既に記されていたとも言えるかもしれません。
(塚本 旨)