聖書の時代

聖書の時代
今日はまず嬉しいニュースがあります。いつも私たちと交わって下さる大森照輝先生が、この1月に結婚されました。奥様はオセアンさんと言う、フランスからの方です。先生は2月23日のウェスレーの日語礼拝でメッセージを担ってくださるので、その時お目にかかれます。是非ご出席ください。
今年の日語のニュースレターは「聖書の時代」と題し、数回にわたって主イエスが福音を述べ伝えられた時代のユダヤの世界について様々な面から考え、聖書が書かれた背景を理解していこうと思います。例えば、人々の貧富の差はどうだったのか。経済協力開発機構(OECD)や厚生労働省の国民生活基礎調査によると、2021年の相対的貧困率(国民所得を基準にした貧困率)は、アメリカも日本も15%をわずかに上回るほどでした。一方、主イエスの時代では所謂富裕層が5~10%、中間層が約10%、そして残りの80%から85%が今でいう貧困層だったそうです。
この富裕層には、特権階級である王族や司祭(サドカイ人)、律法学者(ファリサイ人)たち、それに地主、大商人、取税人などが属し、主にエルサレムなどの都市部に居住していました。
中間層は、技師や職人、また商人などです。技師と言っても、今どきのITエンジニアではありません。壮大な神殿や競技場、橋や水道などを設計、建築する技能を持った人たちです。
貧困層には小作農家、日雇い労働者、羊飼い、そして漁師などが含まれます。更には未亡人、みなし子、また病人などが、そうした境遇に陥っていました。彼らは資産となる土地を持たず、ローマ帝国とユダヤ教組織による様々な税金に苦しみ、増えていくばかりの借金に追われる毎日でした。
更には、いわば社会から忘れられた人々が居ました。「奴隷」たちです。彼らは戦争の捕虜、犯罪者や破産した人たち、外国から強制連行されてきた人々、またその末裔たちでした。彼らの殆どは召使や農業労働者だったのですが、「奴隷」とは主人の「財産」であり、従って給与が与えられることはまずありません。但し彼らの生活は主人が守る事になっていました。
当時のユダヤ教の社会では、律法を忠実に守る事が神様に応えること、と信じられていました。しかし収入の十分の一を神殿に捧げたり、決まった時期に高価な生贄を捧げたり、といった律法の掟は、85%の一般市民と人数にも入れてもらえない奴隷たちにとっては至難の業だったことでしょう。富裕層のファリサイ人やサドカイ人たちとは対立し、漁師や未亡人、また病人には身を捧げるようにして接した主イエスの、律法ではなく、神と人とを愛する事にこそ救いがある、という教えは、きっと多くの人々の心に沁み込んでいったのだと思います。

以下、日語フェローシップからのお報せです。
•2 月19 日(水)午後8 時より、一麦会の聖書研究会が開かれます。今回は桑原俊一先生が「教会暦概観」と題してレントを含めた典礼暦全体を解説してくださいます。以下のZoomのリンクから、どなたでも参加できます。
https://us06web.zoom.us/j/8176977989?pwd=ZDJUV1RQVlZrY005MEY3TEhrZmdDdz09&omn=84598403632
•2 月23 日(日)10 時から日語礼拝です。この日は大森照樹先生がウェスレー教会チャペルでメッセージを伝えてくださいます。皆さま是非ご出席ください。
•3月9日(日)の礼拝後のお茶は、日語が担当します。中里美由紀姉がリーダーになってくださいますが、皆さまの協力を是非宜しくお願い致します。
•毎週金曜午後4 時からのギホンの泉は、以下のリンクからです。 (https://meet.google.com/gsa-pwmy-dun)
•毎週土曜日朝6 時半からの早天祈祷会も是非ご参加ください。私塚本(mimune@tsukamoto.us)までご連絡頂ければ、ズームのリンクをお送りします。